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クラス最軽量と高い剛性を誇る、カジタックス アイゼン

2017/12/14

冬季の本格登山やアルパインクライミング、縦走やトレッキングに幅広く対応するラインアップをご紹介

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クラス最軽量のアイゼンやピッケル、アイスバイルなどの登はん道具を製造し、登山家に愛用され続けてきたカジタックス。創業者である梶田氏のクライマーとしての経験を生かしたモノ作りは、多くの登山家から信頼を集めました。そのノウハウと職人魂を2011年にモンベルが受け継ぎ、新しいブランドとして進化させています。

カジタックス アイゼンの機能

独自の構造と加工方法

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【左右専用設計】
■前爪がまっすぐ前を向き、蹴り込みやすい
■靴の形状にフィットし、安定感に優れる
左右をそれぞれ専用設計にすることで、すべての爪が靴底の最適な位置にくるように配置。氷雪面を確実にとらえるベストな角度に設定しています。

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【プレス加工】
1枚のクロムモリブデン鋼版の状態から、プレスや熱処理など多くの工程を経てアイゼンに加工しています。

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冬の本格登山やアルパインクライミングに


12本爪【カジタックススノーポン取付可能モデル】

軽量ながら高剛性を誇る構造のアイゼン

つま先の爪が前を向いており、急斜面に蹴り込んで登る際に有効なアイゼンです。ブーツの装着方法に合わせて、3種類のタイプをご用意しています。ご自分のブーツや用途に合わせてお選びください。

【ワンタッチタイプ】

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前後を金具とレバーで固定する方式。しっかりとしたコバが出ている靴にのみ取り付け可能。強い力で固定されるため、冬山縦走やアルパインクライミングに適しています。

【セミワンタッチタイプ】

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後ろのみレバーで固定する方式。かかとにしっかりとしたコバが出ている靴にのみ取り付け可能。ワンタッチアイゼンがつかない靴にも合わせることができます。

【テープタイプ】

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樹脂製ハーネスとナイロンテープで固定する方式。コバのない靴にも取り付け可能。オーバーブーツを履いた時などにも合わせることが可能です。

冬季の縦走に


10本爪【カジタックススノーポン取付可能モデル】

つま先に爪がある軽量なアイゼンです。小さな靴にもフィットします。

【テープタイプ】

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樹脂製ハーネスとナイロンテープで固定する方式。コバのない靴にも取り付け可能。オーバーブーツを履いた時などにも合わせることが可能です。

積雪が多い山でのトレッキングの際に


8本爪

爪が長く、積雪が多い場面に最適なアイゼンです。ソールの柔らかい登山靴にも対応します。

【テープタイプ】

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樹脂製ハーネスとナイロンテープで固定する方式。コバのない靴にも取り付け可能。オーバーブーツを履いた時などにも合わせることが可能です。

モンベル・カジタックス アイゼン交換部品

フットウエアとカジタックスアイゼンのサイズ対応表

アイゼンを着用したまま、装着できるスノーシュー

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雪面の状況に応じて、スノーシューとクランポン(アイゼン)の使い分けができる、モンベル独自開発のスノーシューです。起伏に富む日本のフィールドに適しています。

カジタックスアイゼン(別売)を装着したまま着用できます。

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フィールドの状況に合わせて対応

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「カジタックスアルパインスノーポン」と「カジタックスアイゼン」の組み合わせは、フィールドの状況に応じてどちらの仕様にも即座に対応出来ます。※カジタックスアイゼン本体は別売です。
①雪の多い地形は、スノーシュー仕様で。
②凍結した山岳地形ではアイゼン単体で。スノーポンは重ねてバックパックに固定できます。

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【ヒールフリー】
本体にヒールが固定されていないため、フレームが動き登り下りともに爪が雪面をがっちりと掴む。

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【ヒール固定(かんじき)】
フレームが干渉し雪面に爪が届かない。

その他の特徴

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【ブーツのみで装着】
アイゼンを装着せず、靴のみでも装着可能です。

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【トラバース用爪】
進行方向に対して、平行な方向にも爪を配置することで、トラバース時にもグリップ力を発揮します。

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【携行時】
フレームを重ねると、非常にコンパクトになり、携行性に優れています。

積雪量が多い時期に活躍


カジタックスアイゼン専用モデル

カジタックス アイゼンと組み合わせて使用する、浮力を高めるデッキを備えたモデルです。快適に雪原を歩行でき、積雪量が多い時期に活躍します。
※2016年以前のカジタックスアイゼンには対応していません。
※アイゼンは別売りです。

「ワカン」タイプの小型・軽量モデル


カジタックスアイゼン専用モデル

カジタックス アイゼンと組み合わせて使用する、「ワカン」タイプの小型・軽量モデルです。急登や下りにも強く、さまざまな状況が想定される冬季登山に最適です。
※2016年以前のカジタックスアイゼンには対応していません。
※アイゼンは別売りです。

さまざまな状況が想定される冬季登山に


他社製アイゼン使用可能モデル

「カジタックス ライトアルパイン スノーポン」と同じ機能を備え、さまざまなアイゼンを取り付けできる「ワカン」タイプの小型・軽量モデルです。急登や下りにも強く、さまざまな状況が想定される冬季登山に最適です。
※さまざまなアイゼンと対応しますが、アイゼンの形状によっては、ハーネスと干渉する場合があります。

カジタックスアイゼンとの対応表

表内の数字はカジタックスアイゼン本体のジョイントバーに刻印された数字です。
※ご使用のアイゼンと靴のサイズによっては非対応の場合がございます。
※2016年以前のモデル(アイゼン)には対応しません。

カジタックスの歴史

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1965年、愛知県春日井市に「梶田製作所」として創業。
名古屋の登山用品店の製造部門でアイゼンを製造していた梶田民雄氏が、店の閉鎖に伴い事業を継続したのが始まりでした。
当時製造していた「タニアイゼン」(1961年発売)は全国展開され、1970年代にかけて生産が間に合わないほどのベストセラーに。以後も、世界の常識を覆すような画期的なアイゼン、ピッケル、アイスバイルなどを次々と世に送り出しました。
梶田氏のクライマーとしての経験と知恵を活かしたモノ作りは、多くの登山家から信頼を集め、高価な外国製品が大部分を占めたアルパイン・クライミングギアの市場で、国内メーカーとして不動の地位を築きました。

1961年

前身となる登山用品店・製造部門のアイゼン製造工場スタート。「タニアイゼン」と命名

1965年

「梶田製作所」創業

1975年

世界初、肉薄鋼板を独自のL字構造で補強した軽量アイゼンを発売。

1977年

「カジタ」ブランドのアイゼン、システムピッケル(世界初)を発売。

1978年

世界初、「丸鋼鍛造製法」に代わる「鋼板打ち抜き製法」の軽量ピッケル発売。「タニアイゼン」廃盤。

1984年

世界初、セミチューブピックのアイスバイルを発売、トップクライマーたちから絶賛される。

1994年

「カジタックス」と社名変更。

2010年

高齢と後継者不在のため廃業。

2011年

モンベルが事業継承。「モンベル・カジタックス」のブランドでアイゼン・シリーズ発売

アイゼンの工程

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対談:カジタックス創業者 梶田民雄 × モンベル代表 辰野 勇

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1960年代、梶田氏が20代、辰野が10代のころ、ふたりは出会っていました。
それから四十数年。思いもよらない形での再会。そして開いた未来への扉。
梶田氏が歩んできた道のりはいかなるものだったのでしょう。
梶田氏の中で燃え続けてきた職人魂。築き上げてきた文化。
その炎を消さないことは、日本の誇りを未来へ引き継ぐ作業といえるのではないでしょうか。

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辰野

実はずいぶん昔にお会いしているんですよね。

梶田

いつでしたか…

辰野

たぶんあのときに会っています。梶田さんがおられた名古屋の山の店、山陵舎が倒産したとき。たしか、1964年ですよね。

梶田

ええ、そうです。

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辰野

その中で、僕は大阪の白馬堂でお世話になっていたわけですが、名古屋にも「跡部昌三の店」とかがありました。

梶田

「鈴鹿山荘」というのもありましたね。

辰野

そういったお店で、登山用品を売っていたわけですが、あの当時、そういう店へ行くとお客がしかられるような雰囲気がありましたよね(笑)

梶田

そういうムードがありましたね。「お金持ってきたか」なんて当たり前のように言われました。

辰野

びっくりしたのは、跡部さんのお店で、お客さんが「ツェルトください」と言うと、「ツェルトで何するんだ」って。「今度、穂高へ行くからツェルトを持って行こうと思う」と言うと、「そんなもの、ツェルトなんか持って行かずに星見て寝たほうがいいんだ」と言って売らないんです。登山用品店にツェルトを買いに来ているのに、ツェルトを売らないんですよ。びっくりしました。

梶田

昔の専門店店主には、ちょっと意固地なおやじがいましたね。とにかく当時の時代背景としては、非常に品物が不足していました。

辰野

そもそも山に特化した商品そのものが少なかったですよね。

梶田

そうです。ですから、オーバーミトンなんかもスキー用のミトンを細工して自分で作ったりしました。私がモノを作り始めたきっかけも、既製品が非常に使いづらいということと、まともなものがなくて、故障が多くて困ってしまったからでした。

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辰野

はさみで切った後は、板金みたいにたたくわけですか?

梶田

いや、曲げる機械はあったので、余分なコーナーをはさみで落としました。

辰野

それで6年たって、スチール家具の会社から山の店(山陵舎)に移られたのですか。

梶田

そうです。ほんのわずかな間のスチール家具の会社での経験が、非常に貴重なものになりました。

辰野

アイゼンを作り始めたのはいつだったのですか?

梶田

1961年です。山陵舎の製造部門としてスタートしました。

辰野

確か「タニアイゼン」というブランド名でしたね?

梶田

そうです。その当時一流とされていたアイゼンを見て、私はもっといいものを作る自信があった。山仲間の谷順治という男と始めたのですが、当時、門田(カドタ)というアイゼンが全盛期でしたので、梶田(カジタ)ではただ1字違うだけで模造品のように思われてもいけないし、将来的には谷を主体に継続するつもりでいました。ある程度、軌道に乗ったら谷に任せようと思っていたのですが、2年くらいで谷がやめちゃった。結局自分でやるしかなくなりました。

辰野

梶田製作所を立ち上げたのは?

梶田

梶田  山稜舎が倒産した1年後、1965年です。

辰野

最初は、プレス機械なしで始められたのですか?

梶田

そうです。全部手作業でした。最初に板材を、帯鋸盤(おびのこばん)で切り抜き、切り口をグラインダーで削ります。そして、ツメを曲げるときには、一カ所ずつ加熱して、手でたたいて曲げていきます。ツメの先も、手でたたいて細くしていく。

辰野

鍛造ですね。

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梶田

はい。部分的に鍛造で作りました。ハンマーを振るのは非常に力が要る作業です。今やろうと思ったら30分も続かないような仕事を、12時間も13時間もやりました。それでも注文数をこなすだけの量が製作できず、長い間追いまくられて、それこそ死に物狂いで、何でこんなにやらなければいけないのかというくらい仕事をしました。ほら、この手なんて見てもらうとわかると思いますけれど…

辰野

左右で大きさが違いますね。右の方が大きくなっています。

梶田

毎日、ハンマーを振っていたらこんな手になってしまって…。人前には出せない手ですよ。

辰野

いやいや、それは勲章です。

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辰野

今まで梶田さんが築いてこられた技術は、すべてゼロからですか?

梶田

全くゼロからです。全て自分で工夫しました。

辰野

僕とジャンルは違いますが、極めて酷似していますね。モンベルのジャケットの最初の製品は、おやじの古い背広をほどいて、それを新聞紙で型紙にとりました。その型紙を生地に当てて線を引いてはさみで切って…作ったものです。

梶田

そうですか。

辰野

最初は板材を帯鋸盤で切っていたというお話でしたけど、アイゼンだと相当分厚いですよね。

梶田

梶田製作所を立ち上げた当初、使用していた鉄板の厚みは4.5ミリありました。

辰野

4.5ミリか。すごいですね。

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梶田

それを切り抜いて、リングを取り付ける部分やつめの部分は、たたいて薄くして曲げて…

辰野

そのままだと曲がらないわけですね。

梶田

そういう作業を最初は全部手でやっていました。その後、プレスを使うようになって、一発ポンとやれば抜きたい形に切り抜ける。そうしたら手でやる作業が90%くらい解消されて、随分楽になりました。

辰野

製品のデザインに関しては、どうされていましたか。

梶田

全く独自の、私のデザインです。

辰野

山へ持って行ってテストしたりされたのですね?

梶田

もちろんです。新しい製品を発想する段階から、例えば、今度行く山には、今あるこの製品よりも、もっと使いやすいものが無いだろうかと、自分が山へ行くために使いやすいものを考え、こういうものを作ってみようと発想するわけです。1個、2個では金型は作れませんから、自分で鉄の板を切って、一つ一つ手で曲げたり、焼き入れしたりして作っていきます。

辰野

そういう試作は普通、もっと簡単にボール紙か何かでモデルを作ったりしないのですか?

梶田

それは一度もやったことがないですね。最初から鉄の板で使えるものを作って、テストと改良を繰り返しました。そうやって、これならいけるというところまで作り上げていきます。

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辰野

今まで作ってこられた中で、一番の自信作を教えてください。

梶田

世に出してすぐに評価されたアイスクライミング用のバイルですね。

辰野

アイスバイル(=氷壁用の登はん道具で、ピッケルのブレードをハンマーにしたもの)

梶田

はい。セミチューブピックのバイルです。世にあった真円のバイルを参考にして、私はそれを半円、セミチューブにしました。発売に至るまでには、試作品を30本作って、地元の春日井山岳会がヒマラヤに行くときに10本持たせ、私自身もヒマラヤのガウリサンカールに行くときに自分たちの隊で10本使ってみました。そうしたら一様に、これは素晴しいとなって…

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辰野

画期的だったわけですね。

梶田

そうなんです。何よりも氷が割れずに刺さるということで評価を受けました。それで、ヒマラヤ山中から日本に手紙を出して、当時、1シーズンで最も売れたバイルが400本くらいだったところを1,000本作れと指令を出したのです。一応、出発前に量産する準備をしていましたから。そうやって1,000本作りましたが、1月半ばごろに売り切れてしまった。

辰野

あれは、パイプをカットしたものですか?

梶田

いや、平らな板を曲げる製法です。結局、自分が最も得意なのはそういう加工法で、切ったり削ったりというのは専門外ですので。

辰野

セミチューブだと氷が割れないというのは?

梶田

氷でも何にしてもそうですが、物が刺さるということは、その刺す部分の体積を、どこかに逃がすということです。逃げるところがないと、氷なんかだと割れてしまいます。セミチューブでポンと刺すと、チューブなものだから、氷がピュッと抜けて逃げる。逃げる余地があるから割れない。当時のトップクライマーが、「これがあれば技術が要らない」といって喜んでくれたのを思い出します。

辰野

ほお。

梶田

「この道具によって氷壁のグレードが下がった」とまで言われたりして。嬉しかったですね。

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辰野

我々モンベルの製品というのは、体を守るとか温かいとか、雨が降っても大丈夫とか、どちらかというと守りの道具です。梶田さんが作ってこられた、積極的に攻めていくための道具というのは、直接、登はん技術に関係します。新しい技術を築いたり、可能性を広げたりという要素をもっていますよね。

梶田

そうですね。技術を向上させるとか、補うといったことですね。例えばアイゼンがなければ氷の上を歩くのは難しいけれども、アイゼンがあれば楽に歩けます。

辰野

道具を作っていく中で、そういう醍醐味はきっとあったのでしょうね。

梶田

はい。道具は技術や体力を補います。それを手助けするためにモノを作っていく面白さというのが確かにありました。

辰野

あまりにも道具が進歩すると、本来のいわゆる技術というものが必要なくなってきませんか。

梶田

特殊な世界ですからそれほどまでのものはなかなか(笑)

辰野

そうですか。

梶田

海外へは出ずにずっと日本でやってきたでしょう。そうすると、日本人の舶来崇高主義っていうのを、やっぱり意識せざるを得ません。日本独自のものを作っただけではなかなか受け入れてもらえない。

辰野

僕も国内のメーカーとしてやってきましたから、同じようなことを味わってきました。日本は島国であるが故に、多くの人が外のものを見たいと思い、外のものにあこがれる。そういう気持ちがあることは、否めない事実でしょうね。

梶田

逆説的ですが、だからいいものを作るしかなかった。いいものを作ればお客さんの方から買いにきてくれる。実は私、売り込みにお願いして回ったことが一度もないんですよ。全て、取引先の方から扱いたいと言ってきてくれました。

辰野

いや、それはまさに職人冥利につきますね。

梶田

私の作る物については、外国製品と比べて軽い、よく刺さる、長持ちする、あるいは値段が高くない。そういう自信があって、とにかく、他社製品よりメリットのあるものを作ることにこだわってやってきました。

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辰野

今回、ひょんなご縁で梶田さんの技術をモンベルで引き継がせていただくことになりました。

梶田

そうですね。よろしくお願いします。

辰野

名古屋でたまたま梶田さんに会って…。梶田さんが廃業される事を聞きました。僕があのとき思ったのは、日本の梶田、メイドインジャパンの梶田が、今まで培ってきた文化。登山用の道具を通じて、日本の登山界がその恩恵を被ってきたもの。僕らのウエアの世界より、もっと研ぎ澄まされた、とんがった部分で直接関与してきたもの。そういう一時代を築いた技術が、このまま消えてしまうのはもったいないということです。それと、海外の製造現場を見てきている立場からすれば、やっぱり日本はここで頑張って、こういう火を消してはいけない。もし我々の手で引き継ぐことができるなら、それは願ってもないことだと思いました。

梶田

文化とおっしゃったけれども、そういったものを一部分であっても継承していただけるなら、私が今までやってきたすべてのノウハウを何とかしてお伝えしたい。ちゃんと稼働できるように、私は責任をもってやらせていただく覚悟です。

辰野

国産のノウハウをきちんと引き継いで、望むらくは、新たな金属と繊維のコラボレーション。新しい分野が開けていくのではないかと、今はまだおぼろげな感覚ですが、そういう期待をもっています。

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